母のことではほんとに助かったの。

今回補聴器NEXTでは、女優の二木てるみさんの取材をさせていただきました。
取材場所はサポーターになってもらっている補聴器/経堂です。。

「母のことではほんとに助かったの。」
取材時、開口一番そうおっしゃった二木てるみさん。
取材の日はあいにくの雨だったが、さすがに黒澤明監督の映画でデビューされた女優さん。入ってこられた瞬間からその場が明るくなった。
お母様のこと、仕事のこと、補聴器のこと、色々とお話いただけた。

 

お母様のことで助かったというのは?

母は若いころ中耳炎を悪化させて聞こえが悪かったのね。
それで、父が付き添って地元の商店街の中にある補聴器専門店で診てもらって補聴器を使ってたんです。
昨年、父が亡くなってから、母の補聴器は調整されないで、ただの耳にあるモノになっていたんですよ。
そこで私が、その補聴器専門店を探すところから始めたんです。
確かこの辺りだったな、という不確かな記憶で補聴器専門店を訪ねたらドンピシャ!
さらに驚いたのは店主の方が母の古いデータをきちんと保存されていたんです。

 

それはすごいですね。

すごいでしょ。
店主の方に母の耳を診ていただいて、認知度も変わっていたので補助金が出ることまでわかって手続きもしていただきました。本当に感謝しています。

 

お母様の最近のご様子はどうなんですか?

感度の良い補聴器を装用して、私との会話もテレビの音もよく聞こえているようで、楽しそうですね。

 

それは良かったですね。
ところで二木さんは補聴器についてはどう思われていますか?

こんなこと言っていいのかわかりませんが…。
メガネってオシャレができますよね。私もいっぱい持っていてその時々で変えて楽しんでいます。
で、補聴器って障害のイメージが強い気がしませんか。
母を見てると、いつか私も必要になるのかなって思うんですけど、オシャレな感じが足りない気がするんです。

 

傾向として、補聴器は目立たなく、目立たなくという表現が多いかもしれませんね。

でしょ!
楽しく聞こうよ、補聴器で!みたいなのはダメなんですか?
聞こえってとっても大切だと思うんですけど…。
スマホと連動するとか、音楽が飛んでくるとか、オープンなイメージがあればシニアの方ももっと積極的になるのに…って思います。
これからは、「堂々と」とか「オープンに」とかがいいと思います。

 

若い人たちで補聴器にデコレーションして楽しんでいる人たちもいらっしゃいますよ。

それそれ!そうじゃなくっちゃ。

 

「ヒアラブル」ってご存知でしょうか?

ヒアラブル?初めて聞きました。なんですかそれ。
(ここでヒアラブルの世界を説明させていただきましたが、ヒアラブルは後日取り上げていきたいテーマなので、別コンテンツで)

 

ほかに、補聴器に対するご要望はありますか?

高い!高額!なんでって思うくらい高い!
どうしてもっと安くならないのかしら!

 

需要と供給の関係でしょうか。
補聴器が必要とされる方は現在で2,000万人以上いらっしゃいますが、装用されている方はそのうちの15%弱です。

なるほど。
じゃもっと補聴器の必要性を言わなきゃいけないのね。
ここで補聴器/経堂の店主・石田さんが、
「今は安くてもいい補聴器が出てきています」と割って入ってこられました。

じゃあ、そんな話ももっと言った方がいいんじゃない?
私にできることはあるかしら。

 

もっと知っていただくための活動が必要なんです。
朗読会とか音楽会とかのイベントを企画して活動を広げていこうと考えています。

そうですね。
知ることって大切よね。
私、補聴器専門店の方ってただの店主だと思ってたけど、認定補聴器技能士っておっしゃるのね。知らなかったわ。

 

二木さんにもご協力をお願いしたいのですが。

いいですよ。
一緒にできることがあったら、おっしゃってください。

お母様のこと、お父様のこと、そしてご自身の活動のこと、色々とお話いただいた二木てるみさん。

最後には厚かましくも補聴器ネクストのサポーターまでお願いしてしまいました。

皆さまにもこんなイベントあったらいいな、などありましたらお寄せください。
よろしくお願いします。

▶︎ イベントなどのご提案をお待ちしております!

 

補聴器へ心をつなぐ勇気(二木てるみ)

若いころからの難聴が酷くなった母は父に付き添われて地元の補聴器店の門を叩いた。その時からのご縁で母の耳は現在まで守られて来た。その父が昨年末突然旅立ち、現在は私がバトンタッチしている。
若い頃、中耳炎を悪化させた事が原因らしく当時学生だった私は話しかけてもすぐに返事の返って来ない母に苛立ちを感じていた。その頃から母の耳は少しずつ聞こえにくくなっていたのだ。歳を重ねるにしたがって益々自覚症状を感じてきた母は最終的に父が付き添い地元の補聴器店の門を叩いた。今から20年近く前の事だと記憶している。
機械に興味を持つ父の方向先は正解だったのだろう。店主が好い方で親身になって母の検査、サポートを長年に渡ってしてくれた。それ以来、母の耳は守られて行ったのだ。しかし時は残酷である。高齢者の夫婦にとって、店舗に赴く事が物理的に不可能になり、器具は調整もされず母の耳に居座っている只のモノになっていた。見るに見かねた私は、以前お世話になったオーナーのお店になんとかたどり着いた。古いデータがきちんと保存されていて気が抜けたように安堵した。最近は母の認知度が変わり補聴器に助成金を出して頂けることも分かった。以前のモノより感度の良い製品が母の耳に届き、私との会話もTVの音もしっかりと受け止めている。感謝である。
この半年余り、少し気弱になった母に付き添いながら強く思った。
人生は一度しかない。老いも若きも全ての人々が出来るだけストレスを感じずに暮らせたら!と。身体の何処が悪くても辛いが、現代に生きている私たちは特に様々な音に導かれて暮らさなくてはならない。其処を遮断されることは極限の不安である。
心地よい響きでコミュニケーション取れる事は人間の心にとって不可欠である。
母が出会わせて頂いた様に補聴器のプロによる正しい導きによって人生は変われるのだと確信している
パラリンピックに向かって頑張っている聴覚障害の若者たちから私は沢山の勇気をもらう事がある。
聞こえ方が変?と思ったら一歩前へ踏み出して、補聴器と心を繋いで欲しい。

 

プロフィール

女優・三歳で映画界入り。
1954年 黒澤明監督『七人の侍』に村の子供として参加その後、久松静児監督『警察日記』でデビュー。
1965年、再び黒沢明監督『赤ひげ』に出演。第16回ブルーリボン賞助演女優賞を史上歳少年で受賞。
以後映画、テレビ、ラジオ、舞台など様々な分野で活躍。
2000年より役者の原点でもある「語り」をライフワークとしてステージに立ち現在に至る。
2002年より立教女学院短期大学幼児教育科・客員教授として学生達の指導に携わる他、多方面で一般指導にも従事。